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zoom RSS 盃。

<<   作成日時 : 2007/04/10 23:31   >>

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兄弟仁義
作詞 星野哲郎・作曲 北原じゅん 

唄 北島三郎


一番 親の血をひく 兄弟よりも かたいちぎりの 義兄弟 こんな小さな 盃だけど 男いのちを かけてのむ

二番 義理だ恩だと 並べてみたら 恋の出てくる すきがない あとをたのむと かけ出す露路に ふるはあの娘の なみだ雨

三番 俺の目をみろ 何んにもいうな 男同志の 腹のうち ひとりぐらいは こういう馬鹿が 居なきゃ世間の 目はさめぬ

兄弟盃

暴力団組織においては、子分相互の間においても厳重な上下関係があります。
つまり、「分違い(ぶちがい)」といって、暴力団社会における一種の人物的な重みの違い、すなわち「貫目(かんめ)」の違いによって、上下的な関係がきまり、兄弟盃(的屋系暴力団では義兄弟盃)と言われる盃事によって、擬制の兄弟分となるわけです。
もっとも、最近では親子盃と同様に盃事を省略したり、盃事そのものを簡略にする場合も多くなっているようです。
この兄弟盃には2種があって、その1つが、その暴力団の組織内部における子分間相互の兄弟分の関係、もう1つが、他の暴力団員との間に結ばれる兄弟分(出先の兄弟)関係ですが、何れの場合も親分の許可を得た上で盃事を行うわけです。
正式の盃事は、親子盃で説明しましたように、吉日を選び、祭壇を設け、羽織・袴に威儀を正し、厳粛な雰囲気の中で古式に則って儀式を行うわけですが、その模様については割愛します。
ところで、一口に兄弟分といっても、その中身は「五分の兄弟」「五厘下りの兄弟」「四分六の兄弟」「七三の兄弟」「二分八の兄弟」に分かれており、その差が開くほど服従関係が強まります。

●五分の兄弟
最狭義の兄弟分のことで、上下関係なしの対等な関係にある兄弟分です。お互いに「兄弟、兄弟」と呼び合います。
往時、この盃事では、盃を中央におき紙で樋を2つ作り、この樋で同時にお神酒を飲んだと言われ、それに由来して「飲み分けの兄弟」ともいいます。昨今では、盃を2個用い交盃します。
●五厘下りの兄弟
五分の兄弟と四分六の兄弟の中間で4分5厘と5分5厘の関係にある兄弟のことです。
両者の間はごく僅かの差で、座布団1枚をゆずる程度の差といわれています。
本来であれば、五分同士であるが、何らかの事情で一方が遠慮して5厘だけ下り、その5厘を仲人に一時的に預け、仲人は後日機会をみて盃を改め五分の兄弟にするとされています。
●四分六の兄弟
兄分が6分、弟分が4分の差を持つ兄弟分です。兄分は弟分を「兄弟」と呼び、弟分は兄分を「兄貴」と呼びます。なお昨今では兄分が弟分を「舎弟」と呼ぶのが普通のようです。
盃事では、1個の盃に満たしたお神酒を兄分が6分まで飲み、残りを弟分に下げます。
●七三の兄弟、二分八の兄弟
兄分と弟分の差がそれぞれ7分3分と8分2分の関係にある兄弟分です。
盃事においては、盃に満たしたお神酒を、七三の兄弟の場合は兄分が7分まで、二分八の兄弟の場合は兄分が8分まで飲み、弟分に下げます。
二分八の兄弟の場合は、兄弟というよりむしろ弟分は子分に近い関係であるため、兄分を「オヤジサン」と呼ぶこともあります。

暴力団ミニ講座よりお借りしました。

あたいの元亭主は色んな組の盃を受けていました。

喧嘩で死なずに病気であの世へ行くなんて馬鹿な男でした。

でも、あたいには優しい人でした。

どちらも、施設で育ち親や兄弟姉妹も無くて、あたいがぐれて居た時

本気で愛してくれた。

でも、一度だけ本気で殴られた時がありました。

遊びで刺青を入れたとき、子どもが物心がついた時に両親が墨をいれていてどう思うか。

極道は自分だけで充分だと。

今、その子どもたちも成人し堅気の生活をしてくれています。

盃に命を賭けるなんて馬鹿げたことです。

一度の人生だから、大事にしなければいけないと思う。

ワンさんの言うとおり平穏無事な人生がなによりも大切ですね。

地位や名誉に拘り、素直になれない人生なんてつまらない。

無から生まれ、無に帰る。それが神仏の教えだと思います。

偉そうなことを記事にしました。馬鹿な女の愚痴どした。

また、意味不明ですみません。

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
どうも。
839さんの見た世界の社会秩序の講義ありがとうございました。
地位や名誉と社会秩序は連動しています。

公務員の天下りとか、
昔の大企業の古い人間が子会社に出向してそこでポストを与えられて社員になってしまうなどは、全て、その社会のピラミッド構造を守り、社会秩序を守り、組織を安定させるためにあります。

礼儀の礼とは、社会秩序の事を指しており、
これに反する者は、封建社会では、無礼と呼び、制裁を受けました。
ワン
2007/04/11 01:03
普通の日本の組織において、
この様な社会秩序が維持されており、
上下関係が厳しいです。
厳しいからこそ、
組織内での仲間同士の闘争が押さえられるのです。

極道が礼を重んじる。礼儀を重んじるとは、激しい闘争の世界を生き抜き、仲間同士の間に平和を作って、組織を安定させるのに機能します。
ですから、きっと、その世界では、無礼とは、即制裁、それも厳しい制裁、そして厳罰が待っていると思われます。

礼儀とは、古代中国から取り入れたもの。
身分を設けて国家を安定させ、封建社会を守ってゆき、君主様を守り、民衆の支配をやりやすくするために作られたものであり、これは、理屈ではなく、我々自身の持つ分化にしみついているものです。

ワンは、この礼儀について、いろいろと研究しています。
今の所、発表する意思はありません。
しかし、研究してゆくと、これは、とっても、日本社会にとって重要な問題であると認識しております。

今回は、これまで。^^

では、失礼いたします。
ワン
2007/04/11 01:15
封建時代の礼儀の礼とは、こうであり、
現代にも脈々と受け継がれているが、
私の考える、礼儀の礼とは、
人間関係を深め、良くしてゆくもので、友好的な社会秩序を作るためのものであって欲しいと願っている。
仏教の持つ思想がそれにふさわしければ、
それを新たな礼儀に活用してゆき、
キリスト教の持つ思想がそれにふさわしければ、
それを新たな礼儀に活用してゆきたいと考えている。

今回は、以上。
ワン
2007/04/12 13:41

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