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zoom RSS 播州室津其の一

<<   作成日時 : 2006/07/26 23:37   >>

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 室津は 「遊女発祥の地」とよくいわれます。その言いだしっぺのひとりが井原西鶴(1
  642−93)です。井原西鶴は江戸時代前期の俳人、小説家です。西鶴の小説家として
  の処女作が『好色一代男』 (1682年刊)です。物語は今業平、俗源氏と呼ばれた色道
  の天才児、世の介の一代記です。そのなかで、都会で色道の修行をした世の介が諸国
  遊行興の旅にでます。もちろん室津にきます。世の介37歳のときになっています。巻5、
   31章がその部分で次のような書きだしではじまります。
  「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起りて、いま国々になりぬ」
  つまり、日本の遊女は朝妻と室津よりはじまり、全国にひろがった、というのです。
  『好色一代男』といえば当時のベストセラーです。そこでこう書かれているのですから、
  それを信じた世の人は多かったと思われます。

             
 西鶴には『好色一代男』のほかに室津にふれた作品がいくつか
あります。有名なところでは、お夏清十郎を扱った『好色五人女』(
1686年刊)があります。他に『懐硯』 (1687年刊)、『好色盛衰記』
(1688年刊)、『新可笑記』 (1688年刊)などがあります。

 なぜ西鶴はそれほど室津を取り上げたのか? まず、室津が
海上交通の要衝として栄えた港町だったことがあります。
関西はもちろん、全国的に名が知れた港でした。そしてなによりも、
好色物で作家としてデビューした西鶴にとって 「遊女のはじまりで
ある」 室津は無視できない土地だったと考えられます。
文学的教養の豊かな西鶴にとって室津は謡曲 『室君』 の地でもあ 
りました。例えば、 『 飛梅千句 』 (1679年刊)のなかで、友雪の
「廻船やあしすりをして留ねらん」の句をうけて、
 「 近つく方は風邪むろ君 」と西鶴は詠んでいる。廻船といえば室津、室津といえば室君
  ということです。室津についての西鶴の知識相当なものであったことは間違いあいません。
  それでは西鶴は室津へ来たのか? 残念ながら確たる証拠がありません。         『名残の友』には花見に西鶴が行ったことが記されています。しかし、それより西を
 西鶴が訪れた確証はありません。(噂はあります)。 でも、常識的に考えると、西鶴が
 室津に来た可能性は高いと思います。というのは、西鶴はかなりの旅行家だったとい
 うことです。さらに、俳人であった西鶴には播磨地域に門人が相当いたからです。       最後に、西鶴の実地見聞も織り込まれているという道中案内記 『一目玉鋒』(168
  9年刊) より室津の項を抜粋しておきます。
   「 此室の入海は西国第一の舟かかり湯風呂あまた有遊町さかりて風義のよき所也
        名物になめし革細工人有 」


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